3.11
東日本大震災から9年。
当時の僕は高校生でした。
その日最後の授業の最中に揺れ始めたのを覚えています。
徐々に、確実に揺れは強くなり、教室内はもちろん、隣の教室からもざわざわした雰囲気が伝わってきました。
いつもふざけてる仲のいい友達が、この時だけは真面目に僕の方を見てきました。
教室や廊下で鳴り響く悲鳴。
僕達はとっさに机の下に隠れました。
先生は教室を出て、荷物を持って外へ逃げろと僕達を促します。
そこで校内放送が。
「焦らずに校庭に避難してください」
僕達は順番に校庭に避難しました。
全生徒が校庭に集まり、揺れが収まるまでしばらく待ちます。
唖然とする生徒や、泣き崩れる生徒。
その状況はまさにカオスでした。
揺れは弱まってきましたが、余震は続きます。
その日はすぐに下校となり、家に帰りました。
幸いにも、家族はみんな無事でした。
地震が起きた時、家には誰もいなかったみたいで、みんなが帰宅して初めて、悲惨な状況を目の当たりにすることになりました。
食器は落ち、CDの山は崩れ、酷く荒らされたような状態でした。
父親はラジオ関係の仕事をしているので、地震直後から夜明けまで、家に帰ってくることはありませんでした。
仕事柄、避難情報などを放送し続けていたそうです。
地震の影響で停電し、テレビが使えない状況ではラジオでの情報が頼りになってきます。
そこで初めて、ラジオの大切さを実感しました。
しばらく時間が経ち、テレビが観られるようになると、各局が地震の報道をしていました。
震源地付近の東北地方はもちろん、関東もかなりの被害が出ていました。
都内では電車が止まり、帰れなくなった人達が駅のホームで混雑している姿や、ビルから落ちたガラス片が地面に散らばっている場面。
何よりも、海沿いの県では地震によって起きた津波が町を飲み込んでいました。
上空から撮影されたその映像は、あまりにも衝撃的でした。
全てを目の当たりにした僕は、恐怖というよりも自然の圧倒的な力を見て、どうしたらいいんだ…と。無気力に近い状態になりました。
次の投稿へ続きます。