カールの日記

日々を気ままに投稿📝

3.11 続き

前回の投稿からの続きになります。

 

3月11日から約1週間後、余震が続いている状況でした。

そんな中、近所のタイ出身の方が近隣の人に声をかけ、炊き出しに行こうと提案をしていました。

こんな状況の中、じっとしていることなんてできないという強い意志が伝わり、何人かでボランティアとして、一番被害が大きかったとされる宮城県南三陸町に炊き出しに行くことになりました。

 

早朝、大きめのトラックに炊き出し用のご飯を積み、みんなで乗り合わせて現地に向かいました。

 

炊き出しをする場所までの道のり、壮絶な光景が僕達を待っていました。

まず、街中が潮や海藻の匂いで覆われていました。

そして、津波が押し寄せたことによって崩壊させられた建物、防波堤すらも木っ端微塵に砕け散っていました。

中でも衝撃だったのが、大きい船が建物の上に乗っている光景でした。

これだけ大きい船がこの高さの建物の上に乗っているというのは信じられませんでしたが、見たもの全てが現実です。

 

道はある程度通れるようにはなっていました。

無事に炊き出しをする場所に到着し、被害に遭われた方達への食事の提供が始まります。

僕達が炊き出しをした場所は高台でした。

幸いにも、波がここまで来ることはなかったみたいです。

被災者の方の話を聞き、当時の状況が鮮明に浮かびました。

 

ある程度ご飯が行き渡ったところで、僕は一人で高台を降り、港がある方へ歩きました。

道中、僕らが普段使っている家具や日用品、プラモデルの破片などが落ちており、心に突き刺さるものがありました。

港に着くと、波の高さが異様に高い事に気付きます。

地震が起こる前は、波はこんなに高くなかった。全てが持っていかれた。と地元の人が言っていました。

その話を聞いた時、僕は初めて津波の怖さを実感しました。

 

時は過ぎ、地元に帰る時が来ました。

被災者の方々からお礼の言葉をもらうと同時に、勇気をもらいました。

希望を持ち、前を向いて生きていこうという力強い意志がありました。

地元は違えど、絆が生まれた気がしました。

 

トラックに乗り込む前、僕は高台から海を見下ろしました。

とても綺麗な海でした。

こんな綺麗な海が全てを飲み込むなんて。

自然は美しくも恐ろしい。

あの景色は一生忘れません。

 

当時から9年という月日が経ちました。

今でも避難生活を余儀なくされている人がたくさんいます。

生まれ育った地が変わり果て、戻りたくても戻れない。

この気持ちというのは、彼らにしかわからないと思います。

これからも様々な課題や壁が立ちはだかると思います。

それらに追い討ちをかけるかのようにコロナウイルスというウイルス被害も出ています。

被害に被害が重なり、心が折れそうな人もたくさんいると思います。

だからこそ、協力して復興や事態収束に向けて歩んでいかなければならないのだと思います。

 

僕はあの日を忘れないためにも、想い続けていきます。これから先もずっと。